ZEN CLUB

2024年 01 月号 Number. 561

<ZENグループの今>プロジェクトing

神奈川県逗子市 旧本多家住宅主屋 (国指定登録有形文化財)

久米式耐震木骨構造で国内唯一の住宅

文化財を後世へ伝える改修工事

 文化財の修復工事を数多く手がけているZENグループ・池田建設株式会社(東京都千代田区)は現在、神奈川県逗子市にある国指定登録有形文化財「旧本多家住宅主屋」の改修工事を担当しています。これは株式会社久米設計(東京都江東区)の創設者・久米権九郎氏による『久米式耐震木骨構造』で設計された、個人の住宅としては国内に現存する唯一の建物です。

改修工事の様子などについて、池田建設の監理技術者(現場代理人)、土取つちとりさんにお話を聞きました。

久米式耐震木骨構造とは

池田建設株式会社 監理技術者(現場代理人) 土取慎さん

JR逗子駅西口から徒歩数分。山すそにひっそりと居住者不在のまま30数年、放置された洋風住宅がありました。うっそうと茂る木立の中にたたずみ、長年その様子を伺い知ることはできませんでしたが、地元の人にとっては「知る人ぞ知る」存在だったとも言われています。

この建物は1938(昭和13)年、事業家・本多庄作氏(1897-1977)の自邸として建てられました。本多氏が取締役を務めていた本多商店は東京に本社がありました。本多氏は全国や満州を仕事で巡る中で感染症にかかり、熱海で療養していたところ、妻が医者から逗子への転居を勧められた、という記録が残っています。

その本多氏から設計を依頼されたのが、久米設計(当時は久米建設事務所)の創立者・久米権九郎氏(1895-1965)でした。久米氏はドイツに留学中、関東大震災で兄が崩れた建物の下敷きになり亡くなったことをきっかけに建築を志し、のちに「久米式耐震木骨構造」を考案して論文を発表しました。

これは構造体に小柱のボルト締めを用いて大壁を作る構造法で、その見た目はまるで「鳥かご」。震災で万が一、構造の一部が損傷を受けても建物の即時倒壊を食い止め、人命が守られるよう考えられたものでした。

現在、修復を担当している土取氏によると、旧本多邸も通常の柱寸法と比べて1/4程度の材を組み合わせて組み柱とし、その隙間にはりやブレースを水平に貫通させるなど、当時としては高い安全性を確保する構造になっていた、とのこと。「壁構造に近い建物ですが、本当に骨だけになったら鳥かごのような感じに見えると思います」(土取氏)。

また組み柱とぬきの交点はボルトで接合されている点からも「昭和初期にも新しい構造を考えて作られた建物だと感じた」と土取氏は話します。

久米式・国内3軒目の貴重な建物

もともと国内で久米式を用い、現存している建築は日光金谷ホテル別館と、軽井沢万平ホテルアルプス館の2つとされてきました。旧本多邸は本多氏の死後も本多家で受け継がれてきましたが、1986年に最後の居住家族が転居。その後も建物への愛着から所有は続けられてきましたが、山すそに建つ場所柄、倒木による建物の破損や、それに伴う雨漏りで状況は悪化していました。

そのため売却が検討され、建物を壊さずに活用してくれる所有者を探していたところ、建物の構造形式が久米式耐震木骨構造であることが判明。現存する久米式の建築物としては3例目で、一般住宅としては唯一の存在であることが分かります。

そのような経緯から、久米氏が創設した株式会社久米設計に建物取得の話が持ちかけられ、2021年に同社が敷地と建物を取得しました。そして2022年、「旧本多家住宅主屋」は国の登録有形文化財(建造物)となり、後世へその価値が伝えられていく運びとなったのです。

今後は同社の社員が仕事や余暇などで利用しつつ、地域の人たちにも開かれた場として長く愛され続けるよう、池田建設らによって今、改修工事が進められています。

小屋裏軸組状況(現在の梁材と比べて半分の厚さ)
昭和初期のスクラッチタイル(帝国ホテルのスクラッチタイルは1枚ずつスクラッチされたものだが、これは型整形された大量生産タイル)
既存巾木補修中
天井メダリオン(再利用して再設置)

「デザインと技術の融合」が詰まった建物

建物は木造2階建、スレート葺、建築面積216㎡。玄関の周りにはスクラッチタイル※1があしらわれ、バルコニー腰壁に飾られた「メダリオン(円型の装飾)」が目を引きます。また内部も、天井周りの壁面装飾や階段手すりの装飾、玄関や浴室の床面タイル、窓のステンドグラスといった意匠には洋風建築の要素が詰め込まれていました。一方で和室も造られており、和洋折衷で唯一無二の存在感を放つなど、久米氏が生前、大切にしていた理念「デザインと技術の融合」を表した建物だと言えます。

しかし実際に修復工事が始まると、困難なことも多々ありました。「昭和の初めに造られていますから、ものすごく昔の建築物ではありません。しかし聞いたことはあっても実際に見るのは初めて、という工法もありました」(土取氏)。

例えば、モルタル外壁の表面化粧「リシン仕上げ※2」は現在とは異なる工法で行われていました。

「話に聞いたことはありましたが実際に見るのは初めてで、いろいろな文献などで調べたり、職人さんや左官屋さんなどベテランの方にも確認してもらったりしながら修復方法を検討していきました」と土取氏は話します。

また腰壁などの仕上げ材に合板が使われている点などにも興味を引かれたと言います。「昭和14年ごろの段階で、すでに合板の製造技術ができていた、というのが驚きでした。合板は今では当たり前に使われていますが、当時はまだ新しい技術だったと思います。また第二次世界大戦が始まるころに完成した建物ですが、当時は資材も不足していたはずです。そのような時代にも良い化粧木材が使われており、中には海外からの輸入材も見受けられました」(土取氏)。

「いかに活用するか」に重点

室内の意匠については「天井の丸いメダリオンを石こうで作る技術などは、だいぶ確立された時期に作られたのはないでしょうか。別の場所で大量生産したものを持ってきて取り付けたような感じも受けましたが、天井周りの壁面装飾が部屋ごとに異なっているなど凝った造りになっていました」。

防水や耐震面を考えれば当時のやり方ではなく、現在の工法を取り入れた方が良いという箇所もありますが、なるべく元の姿のまま残したいという希望もあり、難しい判断が迫られることもあります。

「この建物だけではないのですが、修復にあたっては建物を“きれいに直す”だけではなく、“いかに活用するか”も重視します。そのため修復後の維持管理についても非常に重要で、後世へそのまま残せるところは残しますが、もともとは漆喰だった壁を今回の修復で現在の壁材に変えるようなこともしています」(土取氏)。

2024年の完成を目指して、修復工事は佳境に入っています。これまでにもさまざまな文化財修復を手がけてきた土取氏ですが、「たまたま今の担当が旧本多邸というだけであって、一般のマンションでリフォームをするときと仕事に臨む姿勢は変わりません。文化財であってもそうでなくても、大きな違いはなく、ただ目の前の仕事に誠実に取り組むだけです」と気負いはありません

官公庁から民間オフィスビル、邸宅、社寺等の伝統建築まで建設「池田建設」
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